バナオの奮闘記

筑駒→東大→コンサルとエリートコースを歩んだ後、起業に挑戦したら大失敗。今はとある社長のもとで修行中の身。

時機を捉える

7/1分。

 

事業の成功のためには、時機を捉えることが必要である。

 

 

 

 

時機を捉えることの重要性

孫子において、軍事を検討する前の指標にも、「天」「地」がある。

軍事を検討する場合の最重要の指標である「五事」とは、「道」「天」「地」「将」「法」の五つである。

(中略)

「天」とは明暗・寒暑・時節などの自然条件、「地」とは遠近・広狭・有利・不利となるような地形など、戦場に関する地理

孫子・三十六計 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 (角川ソフィア文庫)

自然条件や地理は、現代で置き換えれば、事業成功に必要な外部環境だろう。

 

 

生保業界で、これまで成功した企業が、どのような時代の波を捉えていたのかを取り上げる。

 

 

 

例①:プルデンシャル生命(米国)

日本でも有名なプルデンシャル生命は、1875年にジョン・フェアフィールド・ドライデンによって「プルデンシャル友愛組合」(Prudential friendly society)として米国のニューアークに設立された。

 

当時のアメリカは経済恐慌に伴う不況で、庶民の死亡率は悪化していた。

1000人あたり30~40人ほどは亡くなっていたというから驚きである。

 

また、庶民は経済的に困窮しており、家族の埋葬費を賄うことすらままならないような状況であった。

しかし、生命保険は裕福な富裕層が入れるものであり、庶民には手が届かなかった。

 

そのため、ドライデンは庶民が月3セントで入れる簡易保険の発売を開始した。

これがプルデンシャル生命の始まりである。

 

イギリスでは簡易保険がうまくいっていることも調査済みだった。

 

 

社会情勢をよく見た上で、海外の成功事例をもってきて上手くいったパターンである。

プルデンシャル―成功への挑戦

 

 

例②:プルデンシャル・ソニー生命(日本)

日本のプルデンシャル生命ソニー生命は元々一つの会社であった。

それが、プルデンシャル・ソニー生命である。

 

プルデンシャル・ソニー生命創業の頃、ソニー盛田昭夫は、ソニーに金融事業を作ることを切望していたという。

しかし、当時、他業界の企業が金融事業に進出することは至難の業だった。

外資系の企業と組んで、合弁で会社を設立することのみが許されていた。

そんな中、ちょうど日本への進出を検討していたのが、米国プルデンシャル生命である。

 

その二社が組むことによって、プルデンシャル・ソニー生命が誕生した。

 

また、当時、日系生保はセールスレディが情と集団心理に訴えて、パッケージ型の商品を販売するのが中心だった。

プルデンシャル・ソニー生命は、男性(現在は女性も)のライフプランナーが、ニードセールスによりオーダーメイドの商品を販売するというスタイルをとった。

更に、全く新しい営業部隊を構築するため、既存の保険営業マンからは一切人をとらなかった。

 

当時の常識を覆しながらも、お客さまが本当に求めているものを提供したわけである。

更に、外資生保の日本進出と他業界の企業の保険事業進出の狙いがバッチリ重なったのである。

 

 

 

例③:アフラック(日本)

アフラックが日本で創業した当時、日本において、がんというのは忌み嫌われる存在だった。

不治の病とされており、話すことさえ憚られていた。

しかしながら、がん患者は経済的・精神的に大きな負担を強いられており、サポートを必要としていた。

 

更に、オイルショックの影響を受けて、日本は不況に突入しており、日本の販売代理店各社は新しい商品を求めていた。

そんな中、アフラックは当時は当たり前だった直接営業ではなく、代理店営業という形をとった。

創業者、大竹美喜の代議士秘書時代の人脈等も活用し、地方の名士などを経由して、全国に巨大な販売代理店網を構築した。

 

当時の医療の状況や、国内の経済情勢をよく捉えていたと言える。

縁 人の輪が仕事を大きくする ?アフラック創業者・大竹美喜の軌跡? (ベストセレクトBB*Big birdのbest books)

 

 

いずれにしても、時代を読んで、ベストなタイミングで事業を始めることが、事業の成功には必須である。